これは、昭和初期~中期の時代の本当の話です。
当時猫は、農家のネズミ駆除のためのハンターとして飼われていました。
農家にしてみれば、憎いネズミを退治してくれるのですから、ありがたい存在なはずなのですが、その扱いは結構酷かったという話です。
まず猫は、家に入れる前に検査を受けます。
検査とは、首の後ろを摘まんで持ち上げるという単純なものでしたが、その時、後ろ足が上がらない猫は飼ってもらえませんでした。
首の後ろ側を摘まんだ時に足がだらんと下がる猫はネズミを捕らないと言われていたのです。
もし、飼うかどうかの試験に落ちてしまった猫は、お払い箱ということになり、田舎の話なので近所中が知合いですから、他の人にも勧めることは出来ず、段ボールに入れて川に沈めたそうです。
そして、飼われた猫の寿命も、3年が良いところだというのです。
何故永くて3年で死んでしまうのかというと、農家は猫だけに頼らず、ネズミを殺すための毒を浸み込ませた米を至る所に置くそうなんです。
そして、その米を食べたネズミを猫が食べると、猫も死んでしまうんです。
当時の農家の人にしてみれば、猫は使い捨てのネズミ駆除器だったわけです。
当時の猫の餌も、猫飯という名前があるように人間の残りのご飯に味噌汁をかけたようなものが主流でした。
そういう中で、農家の人が食べる魚を本来肉食である猫が盗む行為が有名になり、猫は魚を盗み取るという印象を持たれたんだと思います。
そして一番悲しいのは、当時の農家の人たちには去勢という考えもありませんでした。
猫は普通に妊娠し子供を産みます。
猫は外敵にも人間にも見つからないような場所で子供を産みますが、ある程度大きくなると人前にも連れてきます。
その子猫は、近所の人に声をかけた後、貰い手のいなかった子猫は段ボールに入れて川に沈めるのだそうです。
そして、これは特殊ではなく、何処の家庭でも当たり前のことで誰も咎めることもありません。
農家の人にしてみると、周り一帯が何でも分かっているような連携された状態なので、どこかに捨てるというわけにはいかないんです。
何処の家にも迷惑をかけないように、段ボールに入れて川に沈めてしまうというのです。
あまりにも悲しいですが、その行為を悲しいとか思えない時代の背景とペットではなくネズミ駆除用の動物として飼い始められた猫の運命だったのでしょうか?